東京高等裁判所 昭和62年(行ケ)189号 判決
一 請求の原因一ないし三の事実(特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨1、2及び審決の理由の要点)については、当事者間に争いがない。
二 取消事由についての判断
(取消事由1について)
1 前記争いのない本願発明の要旨に、成立に争いのない甲第五号証(昭和六〇年六月二六日付手続補正書による訂正明細書)及び甲第六号証(昭和六一年一月二二日付手続補正書)を総合すると、本願発明は、油溶性ポリオレフイン系基質を使用して重合触媒又は開始剤の存在下でビニル単量体を反応されることによつて生成されるC―ビニルピリジン又はN―ビニルピロリドンを含有するグラフト共重合体からなる広範囲に及ぶ潤滑油のための添加剤に係る発明であることが認められるが、本願発明の特許請求の範囲の記載のうち、昭和六一年一月二二日付手続補正書(成立に争いのない甲第六号証)により加入補正された「化学的に誘導された遊離基で開始された」との規定の意義について当事者間に争いがあるので、まずこの点について検討する。
成立に争いのない乙第一号証(共立出版株式会社発行「化学大辞典」三六一頁)及び乙第二号証(朝倉書店発行「大有機化学」1総論三八七頁ないし三八八頁)によれば、「化学的に誘導された遊離基」とは、もとの化合物が化学的変化をすることによつて生じた遊離基のことと容易に理解されるのであるから、本願発明において、エチレン/プロピレン共重合体であるバツクボーンとC―ビニルピリジン又はN―ビニルピロリドンの単量体単位とのグラフト化反応に関与する遊離基としては、<1>主鎖であるエチレン/プロピレン共重合体又はエチレン/プロピレンのジエン変性三元共重合体自体の遊離基、<2>単量体であるC―ビニルピリジン又はN―ビニルピロリドンの遊離基のほか、<3>開始剤を用いる場合には、開始剤における遊離基があることは明らかである。したがつて、本願発明における「化学的に誘導された遊離基で開始されたグラフト共重合体」とは、右の各遊離基による場合をすべて含む「化学的に誘導された遊離基」によつて開始されたグラフト化反応によつて生成されたすべてのグラフト共重合体を含むものと理解すべきものである。その意味で、「化学的に誘導された遊離基で開始された」との文言は、バツクボーンからグラフト共重合体を生成するための態様、すなわち、グラフト化反応の仕方を説明したに過ぎないものというべきであつて、この文言が、本願発明の出発物質である「エチレン/プロピレン共重合体」又は「エチレン/プロピレンのジエン変性三元重合体」自体の内容ないし特定の構造を規定するものとは到底理解できない(本願発明の出発物質である共重合体の構成ないし内容自体を修飾限定する記載がないことになる。)。
この点、原告は、種々の観点から本願発明の特許請求の範囲における「化学的に誘導された遊離基で開始された」とは、「開始剤ラジカル又は生長ラジカルを用いるという化学的手段によつて、エチレン/プロピレン共重合体などの幹重合体から水素原子を引き抜いて遊離基を発生させ(ポリマーラジカル)、これによるグラフト化反応でグラフト共重合体を生成せしめること」を意味する旨主張するが、前掲甲第五号証に基づいて、本願明細書の記載内容を検討してみても、右のように理解すべき根拠を見出すことはできない。すなわち、本願発明における出発物質について、特許請求の範囲においては「エチレン/プロピレン共重合体であるバツクボーン」((1)項)、「エチレン/プロピレンのジエン変性三元重合体であるバツクボーン」((5)項)とのみ規定されているに過ぎないうえに、発明の詳細な説明欄においても、出発物質である、バツクボーンを構成する共重合体については「予じめ生成させた油溶性ポリオレフイン系基質」(二頁一二行ないし一三行)、「エチレン/プロピレン重合体バツクボーン」(四頁一行ないし二行)、「エチレン―プロピレン共重合体」(四頁六行ないし七行)、「エチレン/プロピレン共重合体」(六頁四行ないし五行)、「60/40モル%エチレン/プロピレン共重合体」(二〇頁一五行ないし一六行)などと記載し、これを構成する単量体の成分をもつて規定しているに過ぎず、当該共重合体の製造方法ないしは製造過程については何らの記載もない。このような本願明細書の記載内容に照らしても、「化学的に誘導された遊離基で開始された」との文言をバツクボーンを構成する共重合体の内容ないし構成を限定するものと理解することはできず、むしろ、その文言に即して、グラフト化反応が化学的に誘導された遊離基で開始されれば足るものであり、したがつて、バツクボーンが「エチレン/プロピレン共重合体」又は「エチレン/プロピレンのジエン変性三元重合体」である出発物質は本願発明の出発物質に含まれ、引用例に記載された酸化減成されたエチレン/プロピレン共重合体又はエチレン/プロピレン/ジエン変性三元重合体もこれに包含されると解するのが相当である。成立に争いのない甲第九号証の一(ロバート・エイチ・ゴアの宣誓供述書)及び甲第一二号証の一(戸田不二緒の鑑定書)には、フリーラジカル開始剤を用いるブロツク重合やグラフト共重合体形成における専門家においては、本願発明における「化学的に誘導された遊離基」の表現が、グラフト化反応のひとつである連鎖移動法において開始剤により誘導された遊離基(開始剤の存在により引き抜かれやすい第三級炭素原子や塩素原子を重合体から引き抜くことによつて誘導させられた遊離基)を指すものと理解できる趣旨の記述のあることが認められるが、これらの宣誓供述書や鑑定書の内容及び参考資料として添付された文献(甲第九号証の二ないし八、甲第一二号証の二ないし三)を精査しても、グラフト化反応として連鎖移動法、ポリマー開始剤法及び放射線グラフト法などがあることは理解し得るものの、この点に関する右両名の専門家の認識が、この「技術の分野における通常の知識を有する者」の客観的な理解でもあることを裏付け得るものということはできず、他に「化学的に誘導された遊離基」の記載の意義についての原告の主張を認めるに足りる証拠はない。
右のとおりであるから、本願発明の出発物質は「酸化」「減成」されていないエチレン/プロピレン共重合体であるものに限られるとする原告の主張は失当であり、採用できない。審決が、本願発明の出発物質について、主鎖が「エチレン/プロピレン共重合体」又は「エチレン/プロピレンのジエン変性三元重合体」であるものと理解したうえで、引用例との対比をしていることは、前記争いのない審決の理由の要点(請求の原因三4)に徴して明らかであるが、この点に原告主張のような誤りはない。
2 更に、引用例に記載された共重合体の構成及びグラフト反応について検討すると、引用例に審決認定のとおりの記載(審決の理由の要点3)があることは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第七号証(米国特許第三、六八七、八四九号明細書)によれば、引用例は、「減成されたエチレン―プロピレン共重合体から誘導される油溶性グラフト重合体を包含する潤滑剤」の発明に係る明細書であつて、この引用例の発明は一九七二年八月二九日に特許されたものであること及び発明についての「開示の要約」には、「各種の重合性不飽和単量体及び酸化されて減成されたエチレンとプロピレンとの共重合体からグラフト重合体を製造する。これらのポリマーは、粘度指数改良剤、分散剤及び燃料及び潤滑剤用の流動点降下剤として有用である。」との記載のあることが認められる。
右の引用例の記載に基づけば、引用例には、減成されたエチレン―プロピレン共重合体あるいはエチレン―プロピレン―ジエンの変性三元共重合体の主鎖に共単量体としてN―ビニルピロリドンをグラフト重合させたグラフト共重合体が開示されていることは明らかである。そして、前掲甲第七号証によれば、「減成された共重合体」の分子量及び減成の機構について審決が指摘した引用例の記載を子細にみると、引用例には、「共重合体の減成は、共重合体の分子量を実質的に減少させることを特徴とする。共重合体が減成される機構は正確には知られていないし、また、分解生成物の化学的組成も正確には知られていない。しかしながら、赤外分析から、生成物はカルボン酸、エステル及びカルボニル基の形状の酸素を含んでいることが知られている。分子量が少なくとも一〇〇〇であり、その分子量が減成前の共重合体の分子量の少なくとも五%よりも少なくなる程度まで減成された分解共重合体が、本発明の目的に有用である。分子量が約三〇〇〇~二〇〇、〇〇〇、好ましくは三〇〇〇~五〇〇〇の共重合体が好ましい。」(二欄五五行ないし六八行)と記載されていることが認められるが、これによれば、引用例の「酸化減成された共重合体」も、主鎖がエチレン―プロピレン鎖又はエチレン―プロピレン―ジエン鎖であることに変わりがないのであるから、この点からも本願発明の特許請求の範囲にいう「エチレン/プロピレン共重合体」又は「エチレン―プロピレンのジエン変性三元重合体」に相当するものというべきである(引用例の発明においては酸化減成された共重合体が出発物質であるから、ペルオキシ基の生成、更に二重結合を生じたり、そこでの切断などが生じることが推認されるので、酸化減成前の共重合体と減成後の共重合体の性質が異ならないとはいえないが、これによつて、主鎖が「エチレン/プロピレン共重合体」等でなくなるものとはいえない。)。更に、審決の指摘した引用例の記載のうちには、「本発明の重合体は、減成された共重合体を少なくとも五〇℃、好ましくは約五五~一三五℃の温度でフリーラジカル重合触媒の存在で所望な共単量体と接触させることによつて得られる。好適な触媒には、クメンヒドロペルオキシド、ジクミルメルオキシド、ベンゾイルペルオキシド、アゾビスイソブチロニトリル、過硫酸ナトリウム、ジエチルペルオキシジカーネート、第三級ブチルペルオキシドなどがある。」(三欄五一行ないし五八行)との記載がみられ(前掲甲第五号証によれば、本願明細書の九頁三行ないし一二行には、開始剤としてヒドロペルオキシド化合物及びペルオキシド化合物が挙げられている。)、この記載によれば、開始剤による遊離基によつてグラフト反応が進行していくことが明らかであるから、引用例におけるグラフト化反応も「化学的に誘導された遊離基で開始された」ものということができる。
3 右のとおりであるから、本願発明と引用例の発明とは、化学的に誘導された遊離基によつて開始されるグラフト化反応によつて、主鎖であるエチレン/プロピレン共重合体又はエチレン/プロピレンのジエン変性三元重合体にN―ビニルピロリドンをグラフト重合させて生成したグラフト共重合体である点で共通しているというべきであり、本願発明の特許請求の範囲(1)、(5)項に記載された潤滑油用添加物は、引用例に記載された潤滑剤と区別し得るものではない。成立に争いのない甲第八号証の一(ロバート・エル・スタンボーの宣誓供述書)、前掲甲第九号証の一及び第一二号証の一には、本願発明と引用例の発明における生成物は、出発物質の相違に伴つて異なつた性質のものである旨の見解が述べられているが、本願発明の特許請求の範囲に規定された「エチレン/プロピレン共重合体」又は「エチレン/プロピレンのジエン変性三元重合体」には引用例の酸化減成された共重合体も含まれること(本願発明の出発物質は、水素引き抜きにより遊離基を発生させた共重合体に限定されないこと)はすでに認定説示したとおりであるから、出発物質に違いがあることを前提とする右甲号各証における見解は採用できない。
(取消事由2について)
4 引用例に開示された技術的内容は、すでに認定説示したとおりであるから、引用例の発明における目的、構成は明らかであり、前掲甲第七号証によれば、具体的な実施例の記載にも欠けるところがあるものとは認められない。原告が、引用例の発明を未完成としてみるべきであるとする根拠は、その主張内容に徴すると、主として、引用例の発明においては、所期のグラフト共重合体が得られていないことによつて「反復実施して目的とする技術効果」を挙げることができないという点にあると解され、その裏付けとして、前掲第八号証及び第九号証の各一を援用するが、これらの証拠によつても、引用例の発明において、所期のグラフト共重合体が生成されていないとは認められない。すなわち、引用例におけるグラフト重合体の機構を正確に知ることは審決指摘(請求の原因三3、6)のように難しいとしても、前掲甲第七号証(引用例)によれば、引用例には、「本発明のグラフト重合体の正確な構造は知られていない。特に、グラフト基が減成された共重合体鎖の炭素又は酸素原子に結合しているかどうかは不確定である。恐らくは、これら両タイプの結合が各種の比率で存在しているのであろう。」(三欄七一行ないし四欄一行)との記載があるところから、かかる態様のグラフト重合反応がなされているものと推認される。このことは、前掲甲第八号証の一における「その結果得られた生成物は、ヒドロパーオキシド基を経由したグラフト化物(酸素原子に結合)と酸素部分のとなりの位置又は、二重結合に対してアリル位からのグラフト化物(両方とも炭素原子に結合)の混合物を含むことになつた。」(九頁二一行ないし二三行)との記載や前掲甲第九号証の一における「アボツトの方法によるグラフト反応は、少なくとも、部分的には、第三級炭素原子に結合した酸素原子の架橋を介して、活性化されたポリマー主鎖の位置で起こるものである。」(一〇頁一一行ないし一三行)との記載によつても裏付けられるものである。そして、前掲甲第九号証の一によつても、酸素分解ポリマーの方が、未分解ポリマーより優れた分散性を示す場合のあることが裏付けられるのであるから、前掲甲第八号証及び第九号証の各一によつても、引用例の発明の奏する効果を否定しさることはできない。また、前掲甲第五号証(本願明細書)によれば、原告自身が引用例の実施例7及び8に基づいて追試し、得られたグラフト共重合体の性状あるいは効果について検討を加えていることが認められるが、右の追試の結果によつても、潤滑油添加剤としての効果は確認することができるものである。したがつて、引用例にはその技術内容が、当業者の技術分野における通常の知識を有する者が反復実施して目的とする技術効果を挙げることができる程度にまで具体的客観的なものとして開示されているというべきであり、原告のこの点の主張は採用の限りでない。
5 右のとおりであるから、特許請求の範囲(1)項及び(5)項に記載された発明は引用例に記載された発明と同一と認められるので、特許法二九条一項三号に該当するとした審決の判断は正当であり、審決には、原告主張のような違法の点はない。
三 以上のとおりであるから、その主張の点に認定判断を誤つた違法があることを理由に、審決の取消しを求める原告の本訴請求は、理由がないものとして、これを棄却することとする。
〔編注〕本願発明の要旨は左のとおりである。
(1) エチレン/プロピレン共重合体であるバツクボーンと、それにグラフト重合された、C―ビニルピリジン及びN―ビニルピロリドンから選択された単量体単位とからなる化学的に誘導された遊離基で開始されたグラフト共重合体からなる、潤滑油用添加剤。
(5) エチレン/プロピレンのジエン変性三元重合体であるバツクボーンと、それにグラフト重合された、C―ビニルピリジン及びN―ビニルピロリドンから選択された単量体単位とからなる化学的に誘導された遊離基で開始されたグラフト共重合体からなる、潤滑油用添加剤。